マーブルパンダさんの日記 (子宮頸がんの日記)

すべて
子宮頸がん

病気になってから体質が変わりました。

⑴体内に熱を閉じ込めやすくなり熱射病率がハンパない。熱を帯びて数時間後に激しい頭痛と吐き気に襲われす。

⑵扁桃腺が腫れる

⑵に関しては病気になってから疲れを溜めたりするとよく熱を出し、激しい喉の痛みに襲われてました。
結局病院の先生の勧めで扁桃腺を取ったのですが咽頭炎になるという‥笑
あまり意味がありませんでした。

熱射病も病院に点滴とか言ってましたが最近はOS-1で対応してます。
ロキソニン等が全く効かなくなるので。困ったもんだ。

4 view
2017/08/24 16:55

旅行の翌日の入院です。
余韻となんもない感じ‥。

次の日の手術自体は今までのものに比べると比べられないくらい楽勝でした。

レーザーで膣を焼く。
もちろん内部から。
手術は全身麻酔、なんとその日は某有名アーティストの病院慰問ライブもあり、麻酔から覚めて即、車椅子で聞きに行きました。
若い娘はそんなことするから‥後で激しい頭痛に見舞われるとは思ってもいなかったのです。


入院した部屋は前と同じ賑やか病室。みんな重症患者なのでメンバーは変わらず。
今回違うこと。それは、抗がん剤治療と放射線治療が待っていることでした。

子宮を全摘した私は少しの望みをかけて卵巣を残してもらってたのですが、放射線とならば卵巣にも当たるのでもう卵子を取る希望がなくなる説明を受けました、、そう、とどめを刺されたのです。

20 view
2017/08/22 07:18

病気になって良かったなと唯一感じたこと、それはプラセンタが保険で駐車できるということ‥


体調が優れない時に先生に勧められて注射しました。疲れが取れにくい、疲労が溜まりやすい、肌が荒れるといった閉経後の症状も注射を週一で打つことによって回復しました。

体調がだいぶん良くなったのだ今は打っていないのですが、髪の毛がかなり薄くなったのでまた通おうかと迷ってます。

診察のついでに打ってもらうことも可能なのですが、せっかく保険適用出し、抗がん剤を使用して献血もできなくなってるのでどうせ献血できないならプラセンタ打とうかなぁと。

確かプラセンタ打っても献血できなくなるはずなんで‥

18 view
2017/08/21 22:31

初めての海外旅行を来週に控え、いつもの定期検診に行きました。

毎月の細胞診の結果ご告げられたのでした。

即日入院できる?


まさにはあ?って感じ。
いや、来週に旅行なんだけど‥帰ってからじゃダメですか?

再発です。
あなたは若い、進行も早い(23歳)
1日も早く‥

それでも旅行に行きましたが、心から楽しめなかったです。
初の海外旅行は再発の告知の後でした。

旅行から帰国の翌日、4度目の入院をするのでした。

23 view
2017/08/20 13:54

お腹の傷も繋がり、悪いところは全てとったとのことで退院が決まりました。
今回の入院で同室の人たちに励まされ、気持ちも前向きに退院することができました。


退院後に約束してた旅行に行ったり、仕事にも復帰して、以前の生活が待って居ました。



子供を産めなくなり、街を歩く子供たちを見て涙したり、親子の姿に涙ぐんだり。この症状は17年経った今でもです。

だけど生きてるだけで満足しなければと‥そう思って毎日生活して居ました。

半年後には初の海外旅行を控えて居ました。
全摘後は毎月検診に。

18 view
2017/08/19 11:41

この三日間旅行中で、見事にホルモン剤を持って来るのを忘れたことにより2時すぎには電池が切れるという、自分の体が普通じゃないのだなぁと思い出しました。

いつもはプレマリンを毎朝服用して1日元気に過ごしているのですが、飲まないとやはりしんどい。

帰ったらしっかり休んで体をいたわります‥

16 view
2017/08/14 13:49

病気になる前、10代の頃の話。
今思えば、生理痛がとにかくひどかったです。しかも長い。10日くらいしんどかったので体育も休んでました。

仕事を始めてからもしんどさは止まらない。
今思えば病気になる兆しだったのかもしれません。

産婦人科も敷居が高く、初めての診察は生理が半年なかった時。そう、生理も飛び飛びになり、それも兆しだったのかもしれません。


不調がある人はすぐ病院に行かないと行けないと思ったのは自分が取り返しのつかない状況になった後でした。

23 view
2017/08/11 09:47

新しい病室での生活が始まりました。
持ち込んだものもたくさん。
まず大好きな手芸‥ひたすら無になってました。
同じ部屋の人とお茶を飲んだり、和やかな日々でした。

抗がん剤治療を行ってる人も終わってナースコールの時に「ごちそうさまでした、完食です」と言ってみたり笑

看護婦さんもここのお部屋は楽しくて元気になるねって話してくれました。

病気の症状は一人一人違うけど、しんどい人がいたらみんな静かにテレビを見たり、本を読んだり、私は食堂や院内にあったドトールでお茶を飲んだり。毎日それなりに充実してました。

28 view
2017/08/08 19:34

全摘手術は、産婦人科で響く赤ちゃんの声に毎日布団をかぶって泣いていました!が、看護婦さんにある情報を聞いたのです。

奥の5号室、いつも賑やかでしょ?
あのお部屋は癌患者さん、しかも大きな手術をされた方ばかりなんです。
みんな明るいでしょ?
賑やかでしょ笑


‥て。
そう、私が嫌がった部屋の患者さんたちでした。みんな辛いのを乗り越えようと明るく治療されてるんだ。そう思うと「部屋を変えて欲しい‥」

そう、賑やかな部屋に変えてくださいと自分で話してました。
そしてお部屋のお引越し。

部屋のメンバーで私が最年少でしたが、私の次に若かった方がまず挨拶に。
「こんにちは、いらっしゃい」そう話した彼女は帽子を脱いでツルツルの頭でお辞儀をしてニコッとしてくれました。

絶対この部屋にいたら元気になれる!そう確信したのでした。

カーテンなんて一日中オープン。みんなで些細な話も笑って過ごして‥

32 view
2017/08/06 12:28

全摘翌日、背中の硬膜外麻酔?の効果も感じられないまま、激痛の中歩行練習が始まりました。

開腹手術なのでやはりお腹も痛い!
2週間の入院とのこと。とりあえず早く仕事にも復帰したい気持ちいっぱいで、たくさんリハビリしました。

切り取った子宮にやはり肉腫が飛んでいたので取った甲斐がありました。
リンパへの転移はなかったので、毎日のリハビリが退院までの近道と、ほんとよく院内を歩いてまして‥よく院内放送で呼び出されてました笑

25 view
2017/08/03 16:22

3度目の手術は、1度目の手術からわずか3ヶ月後でした。

入院の翌日が手術。
今すぐ入院してくださいと言われました。
このままだと来年の今はないと23の時に言われたことは鮮明に今でも覚えています。
大泣きしました(-_-)


手術当日も、始まるまえには30分ほど手術台の上で暴れました‥

麻酔が効き、7数えて意識が飛びました。
頭痛とともに目が覚めた時には全てが終わっていました。

もう悪いところは全て取れたので‥と。
ほんとかなー、と思いつつ。
お腹の傷は思った以上に痛くて、心の傷はさらに大きなものになりました。

これで治る、良くなると信じてました。

芸能人の方のテレビやブログの出産報告に未だにもやもやします。笑

43 view
2017/07/31 09:39

退院後、手術でとった細胞検査の後呼び出しがありました。

即入院してください。
あなたの場合は、ガンよりも進行の早い肉種です。(数百万人に1人とか‥)
このままだと来年の今はありません。
子宮全摘をしましょう。

まだ20代前半の私は、もう目の前真っ暗‥
自暴自棄になっていました。

結果、入院したんですけどね‥。

3度目の手術もまもなく。
入院した部屋はガン患者ばかりの部屋で、みんな私のテンションとは全く違い、ハイテンションな方ばかり。病室を変えてもらいました。

後にこの部屋の方達に救われるのですがそれはまた後の話。

子宮全摘手術を受けることに。
もう私の性格は真っ暗。
入院前はほんと自暴自棄で、ハサミで新聞紙をひたすら切ったり、訳のわからない行動を繰り返してました笑

子宮全摘手術、手術台の上で大号泣したのは忘れられません。
寝て起きたら子供が産めなくなってる‥
当時付き合っていた人もいたのですが、母になれないのがほんとに悔しくて悔しくて泣き喚いてました。


麻酔を打ち、眠りにつきました。
その日は亡くなった祖母の納骨の日。49日でしたが、両親側についててくれました。


...

もっと読む

86 view
2017/07/28 14:18

初めての手術から17年経った今、3ヶ月に一度の通院、毎日のホルモン剤の錠剤を飲んでいます。

ホルモン剤を飲まずにいたら、やはり体は正直で体調が良くないので忘れずに飲めています。

通院も、内診は一年に一度、あとは薬を処方してもらったり、体の変化など先生に報告したり。
血液検査を半年に一度くらい?行なっています。

病気の後髪の毛がすっかり元気が無くなったのでヽ(;▽;) プラセンタを個人的に取り寄せて飲んでいます。

皮膚科にも通って髪の毛の相談をしていますが、閉経後のおばあちゃんとか髪の毛薄くなった人居るし、そう考えたら仕方ないのかな‥。部分ウィッグもすっかり体の一部に馴染んでくれています。

無くはないけど、それでも髪の毛もう少し生えて欲しいなぁ‥そんな夜。

50 view
2017/07/25 22:34

2度目の手術は円錐手術。
たくさんの方が軽減されているものでした。

手術はしても子宮は残るから、子供は産めるからねと。


今思えばあの時の望みはなんだったんだろうと思いました。
夜中に病棟で泣いている赤ちゃんの泣き声を聞いて毎晩泣いていました。

全身麻酔の手術。
まだ若すぎた私には納得がいかないことだらけで、布団をかぶって毎晩泣いてたなって思い出しました。
なんで私なんだろう‥
そればかり考えていました。

10日入院ののち退院しました。

35 view
2017/07/22 22:42

2度目の入院が決まり、気がどうかしてしまってました。

紙をハサミでひたすら切ったり、行き先もなく遠くまで歩いたり。
だけど次の入院まで日にちはありませんでした。

入院した病棟はもちろん産婦人科。
まだ20そこそこだった私には何よりその環境が苦でした。今から思えばあの時頑張ったから今があるのですが、当時はほんと精神的にきつかったです。

大学病院なので妊婦さんもいる、赤ちゃんも泣いている。そんな中で赤ちゃんが産めなくなるかもしれないという恐怖が病気の恐怖よりも大きかったです。

小さな頃からの夢がお母さんになることでした。

順調だった仕事も休み、入院。
毎日地獄でした‥

33 view
2017/07/20 15:07

先日の診察の翌日入院、膣内にできた小さな腫瘍を取り除く手術を行いました。仕事が休めないので1泊2日。

翌日には退院しました。

病理に回した腫瘍、そして先生に言われたのがまず転院。
大きな病院で受診、手術したにもかかわらずさらに大きな病院で診察してもらうよう紹介状を渡されました。

当時地元では一番大きな病院。
診察の末に言われた言葉はいわゆる告知。
まだ初期だから、円錐手術で完治できると思う。すぐに入院してください。

また言われたすぐ‥と。
当時20そこそこで仕事に遊びに忙しい私はそれどころではない状況でした。
が、両親に頭を下げられしぶしず入院したのです。入院は一週間くらい。そして2度目の手術を受けることになるのでした。

51 view
2017/07/18 09:34

まだ独身の頃の話。10代の頃から生理痛が酷く、かと思えば生理がこなかったり。
なんども病院に通っていましたが全く治らないのでそのしんどさにも慣れてしまっていた20代前半の頃。

生理が月に3度もやってきました。これはさすが中おかしいということで病院に行ったのです。
すぐに手術しましょう、子宮の中に小さな腫瘍が何箇所もできています、明日入院してください。


え???

緊急に一泊2日の入院が決まり、手術を受けたのでした。

37 view
2017/07/17 09:18
日記を投稿