かとさんの日記 (乳がんの日記)

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乳がん

ちょうど退院したあの日から6年目を迎えます。父が亡くなって数日後に発覚した私の乳がん。
おかげ様で再発もなく5年目を迎え、今年からは年に一度の検査となりました。

退院後は何かと体調を崩しがちになり、仕事もなかなか復帰できず1年半休職した後に退職する事になり‥
休んでいる間、実は精神が不安定になってうつ病を発症してしまったのでした。

今思えば、父の死後すぐに自分の病が見つかり、目まぐるしく環境が変わり体と心がついていけなかったのかもしれません。

結局トータルして退院後3年間は自宅で療養しました。
ダラダラと過ごしすぎて、果たして自分が社会復帰できるのかどうか心配していた時に、たまたまネットで見つけた憧れの企業が求人募集していて、ダメ元で応募してみたらアレヨアレヨと言ううちに最終面接まで行き、採用されて今に至ります。

現在、私は某外資系企業で営業職に就いてます。
会社には採用時から嘘や見栄を張らず、ありのままの自分を伝えていた事もあり、今も体調最優先で仕事をさせてもらい本当なありがたい環境です。

ひとことに乳がんと言っても個人差があり、私の様な状態は珍しいのかもしれません。
でも...

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2017/03/26 01:11

私が乳がんで手術する、ということは会社の一部の人だけにしかいわなかったのでお見舞いはもっぱら旦那さんだけ。
子供達は保育所や学校があったし、短期間の入院だったこともあり一度も来させなかった。
周りの同室の人は賑やかにお見舞いで賑わう人もいたけど、不思議と寂しくはなかった。
それよりも乳がんという事実を知られたくなかった。同情の視線を向けられたくなかったのかもしれない。

退院が決まって、術後は放射線を受けることになった。
本当は術後は特に何もしなくても大丈夫と聴いていたので、正直少しショックだった。

後から調べたり聴いたりした話では、念の為の転移を防ぐ為なんだと知ったけど、その時は(切った細胞を調べて悪かったのかな)などと悪いことばかり考えてしまった。

温存手術だったのに、傷跡は想像以上に大きくて、そんな事も相まって不安になっていたのかもしれない。

仕事も休職手続きを踏んで入院生活に入ったものの、たった4〜5日の入院なら退院後すぐに復帰できるかも、なんて甘く考えていたがやはり諸々あってガッツリ休ませていただくことになった。

仕事復帰した時に果たして私の居場所があるのかな、役職は...

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2017/03/25 20:54

私自身、外科手術を受けるのは2回目でした。
一度目は24歳の時、扁桃腺全摘をしました。あの時は口に器具をつけての手術だったこともあり、全身麻酔から目がさめるととにかく口の周りが痛くて痛くて仕方なかった。
また、しばらく喋ることも禁止されていたこともあり、とにかくしんどかった。
それに比べると乳がんの手術は、まだ痛みはマシだと思った。
麻酔が切れる頃、やはり痛みがきつくなったがナースを呼ぶことはなく、それよりもまるで現実ではないフワフワした中で過ごしていた。
本当に乳房にメスが入ったのか、胸の形は変わっていないのか、もしかしたら乳がんになったこと自体が夢で、夢から覚めたら何事もなく、ただの夢なのかもしれない、とまで思った。

翌朝になり、体温を測りに来たナースに起こされた。ナースの顔を見て、あー夢じゃなかった‥とガッカリしてしまった。
私の手術は大成功で、そんなに切ってないし傷も大きくないよと言われて本当に安心した事を思い出した。
朝ごはんも平らげて、「早く退院したい!」と言う強い思いがその時の支えになった。

当初、2週間の入院と言われたけど、その後、退院は4日後と知り更に胸を撫で下ろ...

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2017/03/24 09:14

手術の3日前に入院し、3日間は本当に忙しく病院内を行ったりきたり。
どうして検査って一度に済ませることができないのかなぁ。
クタクタになって、ベッドで横になっていたように思います。

そして、手術当日。
朝から旦那が来てくれて、心強かった。でも、叔母を乳がんで亡くしてる事もあって、すごく暗い表情だったので、不安にさせないようにやたら元気に振舞ってしまった。
この感じ、なんか覚えがあるなーと思ったら、3人目を出産する時と似てた事に気付いた。
本当は何人目でも出産は不安で痛くて。でも、旦那を心配させないように、余裕しゃくしゃく風を吹いて「さすがママ、3人目の余裕やね」とか言われたっけ。
私は見栄っ張りの意地っ張りなんだな。。

手術室に入って、自分で手術台によじ登って無機質な蛍光灯を見た瞬間に涙が溢れた。
本当に怖くて、温存って言っても大事な胸にメスを入れるなんて、不安で仕方なかった。

泣いてる私にオペ室のナースが気づいて、
「大丈夫、大丈夫」と声をかけてくれて本当に安心した。

麻酔を入れて数字をカウントしたら記憶がなくなって、目が覚めたら回復室だった。
旦那と姑さんが隣に座っていた。...

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2017/03/23 13:04

乳がんになって、いつも以上に曲の歌詞に繊細な反応をするようになった。
特に生きることや、日常を表す内容にはぐっと来るものがあって、何年たっても心に残っている。

ちょうど今、卒業シーズンで子供の学校でも歌われた曲で数年前に私の心の支えになっていた曲を書き出したい。

オワリはじまり(かりゆし58)

もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

夕飯時 町 人いきれ「ただいま」と「おかえり」の色
せわしない 木漏れ日 花びら「おはよう」と「さよなら」の音
ありふれた日々が 君や僕の胸に積もって光る

もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

今 動き始めたものや もう二度と動かないもの
今 灯り出した光や 静かに消えていく光
この夜の向こうで 新しい朝が世界に降り始めている

旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望...

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2017/03/22 23:09

入院してしばらくはとにかく忙しかった。
おそらく乳がんで入院する人にとって、皆検査で忙しく過ごすのだと思う。しかし、乳がんに限らず、外科手術を予定している人は術前検査に追われるんだとおもうけど‥。

食べ物は特に禁止されなかったのは、本当に救いだった。
同室の人とは常におやつパーティ状態だったし、お見舞いに来てくれた人からも沢山のお土産を頂けた。
もしかしたら入院前より体重が増えたかもしれない。。笑

なんだかんだ忙しく過ごしていたお陰で、あまり乳がんの事は考えずに済んだのは、良かったと思う。

手術前日、主治医から最終確認為の診察があった。ペンで手術箇所に印を付けられて、思っている以上に印が大きく、そこで初めて「自分が乳がん患者である」とまざまざと気付かされた。

同じ部屋の方は、私が入院してから2人は退院していったが、ベテラン風のお二人はずっと入院していた。
術前、ペンで付けられた印の大きさに落ち込んでいた私に、自分の傷跡を躊躇する事なく私に見せてくれた。
私の乳房に付けられた直径3センチほどの印に比べると、乳房の半分、全部を失っていて、それを見たらさすがに私の乳がんは大丈夫だ、と...

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2017/03/21 22:05

お正月が明けて、予定通りに入院日がやってきました。
準備に思いの外時間がかかり、お産の時以来の入院準備はたった2週間だけだし少しだけで良いかな、と思う反面やはりある程度持っていこうかなという気持ちで最後まで揺れたのだ。

悩んだ挙句、必要最低限だけを持参することに決めたのだった。

入院したのは4人部屋だった。
私が一番年下で、他の皆さんは手術を終えられた方ばかりだった。
みんな乳がんと診断され、初めての手術であるところが共通していた。

手術前の私は、入院初日はベッド周りのカーテンを閉めて、極度の不安と緊張でふさぎこんでいた。
2日目の昼、隣のベッドの人が話しかけてくれた事がきっかけとなり、カーテンを開け部屋の皆んなと話すようななった。

みんな明るい人ばかりだった。
聞けば、ステージも転移も皆バラバラで、私が一番軽症だと知った。
私が転移していないと言うと、皆「いいなあ〜」「羨ましい」など私を羨ましいと言ってくれる人たち。

手術前の不安も弱音も、全部聞いてもらえて、術後の傷も見せてくれたり、とにかく良くしてくれた。

あの同室メンバーとは、今でも連絡を取り合っている。

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2017/03/20 21:21

さあ、明確な診断もされて治療方針もほぼ決まりました。入院は年明けすぐとなり、入院したらすぐに手術が控えていました。

会社への報告、子ども達への報告は終わりました。

残るは1番の難関・私の母への報告です。

数年前に父は肺がんで亡くなりました。
タバコを愛しすぎた父だったので、もはや自業自得だねなどと言いながらも、やはり父がいなくなると母は落ち込み一時的なショックで痴呆のような症状が出たこともありました。

心配しすぎるところがある人なので、あまりマイナスな事は耳に入れないようにしていました。

いくつか考えました。
例えば、手術もその後の治療も全て終わってから「実は‥」と話す。

例えば、もういっそのこと何も言わない。

例えば‥。。

頭が痛くなるほどあーだこーだ考えたのですが、やはり母には伝える勇気がありませんでした。

親不孝な娘なのかもしれません。
しかし、70を過ぎた母に余計な不安を持ってほしくなかったのです。

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2017/03/19 23:44

振り返れば色々と怖い思いや痛い思いをしてきたけど、1番印象的(イコール嫌だった)のは‥
私の場合は「太針穿刺吸引組織診」でした。

もう、思い出しただけで背中がゾゾ〜っと血の気が引きます。
もともと先端恐怖症の私。説明を聞いて、部分麻酔の状態で針で組織片をとるなんて絶対無理でした。

主治医には、割とポピュラーな検査なのでそなに心配しなくても大丈夫と言われました。
当日、施術台に横たわったすぐ後に気付きました。

院長のとなりには、頼りない若い女医さんがいました。
「助手かな?」
はじめはさほど気にしていなかったのですが、部分麻酔をしたあたりで違和感を感じたのです。

その研修医がメインで、診察している院長が横で手ほどきをしていました。

「そこはそれ以上進んだら神経にさわるからね」
「これは筋肉で‥」
「乳腺がとなりで‥」
とにかく怖くて怖くて、私は研修医の実験台なんだと思うと不安で気持ち悪くなり、吐きそうになりました。

たまらず
「すみません、声が聞こえて不安で仕方ありません。何とかなりませんか。」とその場でクレームをいれました。

その後の記憶がありません。
余程ストレスに感じ...

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2017/03/18 21:33

幸いステージはⅡAの段階で私の乳がんは見つかりました。
大きさは約2.5cm。化学療法やホルモン療法といった術前治療は特に受けずに、まずは温存で箇所を切ろうという事になりました。

私が診断される2年ほど前に、主人の叔母が乳がんで亡くなっています。
叔母は乳がん発覚し、全摘手術を受け5年ほどは元気に過ごしていました。仕事もしていました。
5年経ち、周りも乳がんの事はすっかり過去の話になりつつある頃、体調を崩し精密検査をして再発、転移していることがわかりました。

特に胆管ガンが進んでいたそうで、そちらも全摘。ゲッソリ痩せて行きました。
そのあたりから雪だるまのようにあちこちからガンが見つかり、亡くなりました。

主人にとっては、仕事が忙しかった母に変わって面倒を見てくれたのが叔母でした。
本当に仲が良く、母には打ち明けられない事や愚痴、甘えることも叔母がいたから満足に甘え、グレズにすんだといつも言っています。

また叔母の最後は壮絶でした。主人はそんな叔母の姿と私を重ねていたのかもしれません。

ただ、主治医の説明は呆気ないほど簡単でした。
「ギリギリ初期段階の乳がんです。転移の心配も...

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2017/03/17 12:46

今日は、治療開始の頃〜子ども達に報告した頃の話をしたいと思います。

仕事は理解ある上司のおかげで、ほぼ自分から何もしていない状態で手続きも進み、円満に休職の日を迎えることができました。
最初の数か月は有給消化も兼ねていたので、お給料の面でも何の不安もなく治療開始ができたのは本当にありがたかったです。

保険は安い掛け金の共済と、共済に付けていたガン共済だけでした。
一般的なガン保険と異なり、掛け金が安い分やはり手元に来た金額は充分とは言えないかもしれません。
でも、先進医療に対してもお金をいただき、我が家としては非常に助かりました。
上を見たらきりが無いですが、私としては共済だけで満足でした。なんと言っても申請して振り込まれるまでが早すぎる。共済はオススメです。笑

今までほとんど家にいなかった私が朝からずっといる姿を見て、3人の子ども達はテンション高く大喜びしてくれました。
当時、長女は小学3年生。長男は年長、次男は3歳。
私はまるでレアキャラのポケモン状態。みんなしがみついて離れませんでした。
長女は学校から走って帰ってきて、保育所の2人は私がお迎えに行くと叫びながら駆け寄ってき...

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2017/03/16 14:05

乳がんと診断を受けても、私は毎日いつもと同じように会社へ通勤していました。
全国出張を繰り返す、ハードな毎日でした。
出張先でプレゼンしたり、会議に出たり、接待をしたりされたり。

いつ会社に報告しようか、とタイミングをはかっていたものの(癌患者とわかったら、役職も外されて、退職になったらどうしよう)と、こんなことばかり考えていました。

告知後、2週間ほど経った頃、直属の上司と出張が重なり高知で飲もうと誘われました。

それまでの私は酒豪と呼ばれる程の飲み方をする事で知られていました。
その私が烏龍茶しか頼まない姿を見て、上司に言われたのです。

「かとちゃん、俺には正直に言ってよ。体、なんか隠してないか?」
その言葉を聞いた瞬間、緊張感で張り詰めていた何かがはじけた音が聞こえました。そして、泣きじゃくったのでお店の人に注目されたと思います。

後日談ですが、上司はてっきり私が4人めを妊娠したと勘繰っていたそうです。。
もちろん、まさかの部下から癌報告を受けて非常にショックを受けたんだと後から聞きました。

上司の計らいで、私が休職に入るまではあっと言う間に進みました。
会社から癌患...

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2017/03/15 22:51

2.5センチの腫瘍が見つかり、悪性ですと言われた辺りで少しの期間の記憶が欠けています。
手術をする事や、2週間ほど入院する事を説明されたり、今の状態を先生は話していたんだと思います。
廊下に出て、iPhoneを手に取り『乳がん』と調べながら泣いてしまいました。

主人が仕事途中で病院まで駆けつけてくれて、私の手を引いて一緒にトボトボ帰ったことが、ボンヤリと思い出します。

主人は、わたしが告知を受けた前年に、母親代わりだった叔母を乳がんで亡くしていました。
今になって、あの病院からトボトボと帰った日の心境を聞くと「叔母さんに続いて、お前まで乳がんにやられるなんて堪らん、とか思った」そう。

でも、叔母さんと違った点があったのです。

叔母さんはすでに末期と言われるステージで告知を受けていましたが、わたしは「ステージ2 A期」の小さな腫瘍で告知を受けたという点です。

自覚症状が一切なく、気にもとめていなかった私があの日、検診で乳がん検診のオプションを付けていなければ見つからなかった‥。

これは、絶対に父が天国から
「おーい!おまえ、今のうちに治しとけよー!こっちに来るには早過ぎる!」...

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2017/03/14 20:08

はじめまして。
大阪在住、かとです。

今まで乳がんを経験した、という事実から目を背けていました。

でも、皆さんの日記や書き込みを見させていただき、ありのままに生きるという当たり前の事が出来ていない自分が小さく感じました。

少しづつ、自分の振り返りをしていきます。

乳がんと診断された日の事は、今でもハッキリと覚えています。

6年前の秋、父が亡くなりました。
お葬式など一通り終わり、会社の忌引き明けの日が偶然にも以前から予約していた会社の健康診断の日でした。

父を亡くした悲しみや、バタバタと過ごした疲れもあり、いきなり仕事をする気にもなれずちょうどいいかも‥と考えながら指定の病院へ行きました。

いつもならオプション検査を追加しないのですが、この日は何となく追加。それが、乳がん検診でした。

この病院ではエコー検査のみでした。
右の乳房の検査中、顔の横にあったモニターをぼんやり眺めていたのですが、かなり大きい塊が素人目にもハッキリわかったのです。

若い女性の検査技師と私、同時に「え!?」と声を上げてしまいました。

「これ‥ハッキリ写ってますよね?」と尋ねると、「い、いや、こ...

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2017/03/13 20:38
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